今年もよろしくお願いいたします
11月12月ととても忙しく、あっという間に新年を迎えてしまった。昨年母が亡くなり、私には帰れる家がなくなってしまったように感じているが、姉が声をかけてくれ、お正月は姉の家でのんびり過ごさせてもらった。お正月は、姉の家に親戚が集まっては、どんちゃん騒ぎが恒例行事である。料理が得意な姉は、手作りの料理で私たちを迎えてくれる。みんなで今年の目標を語り、ゲームをしたり、笑いが絶えない。大騒ぎである。
思い起こせば、小さい時は毎週のように母の実家に家族で遊びに行っていた。私の家族だけでなく、おじちゃんや従妹たちともよくそこで会った。従妹たちとも、よく遊んだものである。夕飯は祖母がよくすき焼きをしてくれた。もう数十年も昔のことだが、よほどおいしかったのか、そのことをよく覚えている。母の実家は100年を超える歯科医院で、今は4代目が後をとっている。建て替えてしまったため今は面影すらないが、今思えばFCの匂いなのか、独特の薬品の匂いのする診療室を通りすぎると待合室があった。その待合室には掘り炬燵があり、目の前にテレビが設置されていた。夕食後家に帰るまで、待合室で炬燵に入りながら、テレビを見ていたものである。大人になったら、こうやって人が集まる家になりたいと子供ながら思っていた。私はそれを実行できなかったが、姉が見事にそれをやっている。
大学を出てから、2年ほど家にいたが、その後はずっと東京に住んでいる。流れに身を任せていたら今ここにこうしている。
姉の家に滞在中、久々に街の中を姉と散策した。朝ごはんをたくさん食べて、昼食前に腹ごなしをしようと散歩に行くことになった。散歩しながら、幼かったころの話をたくさんした。昔のことを懐かしく思うのは今の自分が幸せだからこそ♪とユーミンが歌っているので、今の私は幸せなんだと思う。ふるさとには城跡があり、よく遊びに行ったものである。随分整備されてはいるが、思い出がたくさん詰まった場所に変わりはない。石段があちこちにあり、その一段一段が結構高い。ほとんどの場所に手すりが設置されていた。が、全てではない。姉が「手を貸してくれる?」と私に言った。スッと手を出したものの、姉と手をつないだのは何十年ぶりだろうとふと思った。何だか恥ずかしくもあり、同時に少し悲しくもあった。話を聞けば、昨年転んで痛い思いをしたので、二度と転ぶまいと注意しているそうである。あたりまえではあるが、確実に日々年をとっているんだと改めて思った。
人生には限りがある。やれる機会があるならやりなさいと母によく言われたものだ。昨年は嚥下補綴の研修に参加し、宿題に悪戦苦闘。今さらながら、改めて義歯の勉強をした。また、衛生士と一緒にホワイトニングの年間セミナーを受講中である。学ぶ気持ちが無くなったら仕事を辞めようと思っている。いつまで働くのかと自問自答しながらも、城跡から見た富士山に今年も頑張ります!と誓ってしまった。

