口腔機能低下症について

院長の長谷川です。

定期検診にAさんが来院された。大正14年生まれの95才。今はお一人で生活されている。90才台の患者さんはそう珍しくはないが、Aさんはいつも身ぎれいで、私にいつもきちんと挨拶してくださる。何と言っても姿勢がよく、しゃきっとしている。奥様は、ご主人のことをいつも褒めていらっしゃった。本当に仲の良いご夫婦だと思っていたが、残念なことに奥様はもう10年ほど前に他界された。

「口腔機能低下症」という病名が2018年4月より保険診療に加わり、機能を評価する、数値化するという取り組みが歯科で行われるようになった。口腔機能低下症の検査項目は7つあるが、「オーラルディアドコキネシス」という検査は簡単にできるので、私の診療室の中ではパパパ…タタタ…カカカ…などの声がよく聞こえている。機能が落ちたかどうかは健康な時を知らないと比較にならないため、65歳以上の患者さんには積極的に行うようにしている。これは口唇、舌の巧緻性を調べる検査で「パ」「タ」「カ」の単音節を5秒間に出来るだけ早く発音させ、1秒当たりの回数を測定する検査である。65才以上、いずれか6.0未満は機能低下と診断される。Aさんの結果、今月はやや低下して6.8 6.4 5.8。担当の衛生士もびっくりである!私の医院で90才台の平均は、5.6 5.4 4.9(90‐95才 55症例)となっているため、95才Aさんの値が高いことはわかっていただけると思う。Aさんの上顎は総入れ歯、下顎の残存歯数は3本だが、その歯の維持に努め、定期的に来院されている。

歯を失ってもきちんと補っていれば咬合は維持される。

義歯を使用せず、口の中が狭くなり、舌の運動が制限されれば、食事の種類が制限され、咀嚼機能の廃用化に至る。歯がないと、舌や顎の安定が得られない。それは、安全な嚥下ができないことを意味する。実際、要介護高齢者の機能低下は、死に直結しているというデーターもある。

誤嚥性肺炎という言葉は、患者さんもよくご存じのようだ。誤嚥しにくくすることも大切であるが、たとえ誤嚥しても誤嚥性肺炎に移行しないように口腔内を清潔にしておくことはより重要だと思う。

私の医院に来院してくださる患者さんには、生涯お付き合いをするというのが私の考えなので、来院できなくなった患者さんには要望があれば訪問診療をすると決めている。でも実際は、ケアマネさんから依頼され、訪問患者さんの半数以上は訪問で初めて出会った方になってしまった。歯を磨く習慣のない方、最後のかみ合っていた歯が折れて咬合崩壊してから依頼がある方、全く適合していない義歯を入れている方、噛める歯がないのに義歯を入れてない方…ただただ現状に驚くばかり。こんなに悪くなるまでなぜ何もしなかったのだろうかと首をかしげたくなる。介護施設に入所する前にかかりつけ医を受診し、食べられるお口で施設に入るべきであると思う。口腔容積が狭くなり、姿勢の維持が難しいような状態で、何でも治療できると思うのは大きな間違いであると気づいていただきたい。家族、ケアマネはもっとお口に関心をもつべきだと思う。

大半の嚥下障害の原因疾患は、脳卒中、神経筋疾患、廃用症候群である。「楽に飲み込める」ことが「安全に飲み込める」ことでなく、噛んで飲み込む過程があるからこそ、私たちの食生活は満たされている。適切な咀嚼機能の回復や維持は、最大咬合力を向上させるだけでなく、唾液分泌量をも増加させる。咀嚼運動そのものが関連する筋機能の回復を促すことにつながる。

私はAさんのように格好よく年をとれる自信はないが、来院してくださる患者さんには健康に年をとっていただきたいと思っています。そのお手伝いが出来たら、歯科医師としてより満足な人生が送れるのではないかと思っています。

今年も咲きました